津地方裁判所四日市支部 平成6年(タ)13号 判決 1997年10月28日
原告
都東鶴
右訴訟代理人弁護士
岡本弘
被告
津地方検察庁四日市支部支部長検事
村主憲博
被告兼補助参加人
加藤百合子
右訴訟代理人弁護士
木村多喜雄
主文
一 原告と本籍三重県桑名市一色町二五三七番地亡三山高義(大正八年四月六日生、平成四年八月二〇日死亡)及び本籍三重県桑名市一色町二五三七番地亡三山市子(昭和元年一二月二六日生、平成六年八月五日死亡)との間に養親子関係が存在することを確認する。
二 原告の被告加藤百合子に対する訴を却下する。
三 訴訟費用は、原告に生じた費用の二分の一と被告支部長検事に生じた費用を国庫の負担とし、原告に生じたその余の費用と被告加藤百合子に生じた費用を原告の負担とし、参加によって生じた費用は参加人の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
主文一項と同旨
第二 事案の概要及び争点
一 原告の主張
1 原告は、父都秉律と母白愛珍との間に出生したが、父都秉律の長兄である亡三山高義(韓国名、都秉圜、以下「亡高義」という。)、亡三山市子(韓国名、陳順伊、以下「亡市子」という。)と、昭和六二年五月一五日韓国において亡高義が都秉圜、亡市子が陳順伊なる記名で、原告を養子としてその妻崔恩徳と共に記名し、それぞれ捺印した入養申告書を慶尚北道軍威郡義興面長に提出して入養申告された(以下「本件養子縁組」という。)。本件養子縁組の養子縁組が成立するための形式的要件(縁組の方式)は、韓国の方式によるものであるが、当時の日本の法例八条二項の行為地法によってなされたものとして有効である。
2 亡高義、亡市子が縁組意思を有していたことは、韓国の伝統的慣習で、戸主に男子がないときはそのすぐ下の弟の長男を養子にするのが一般的であること、原告のお見合いには亡高義か亡市子のいずれかが渡韓して、親として立ち合っていたこと、本件養子縁組の入養申告書(甲第二七号証)は、亡高義が昭和六二年二月の原告の結婚式に参列するため渡韓したとき作成してもらい、亡市子の捺印をもらうため日本に持ちかえり、同年五月渡韓した際、申告手続をしたこと等から明らかである。
3 当時の日本の法例一九条一項は、養子縁組の実質的要件につき、各当事者に付きその本国法によって定めると規定しているから、亡高義と亡市子については当時の日本民法七九二条ないし七九九条の要件を満たす必要があるが、本件養子縁組についてこれらの要件に欠けるところはない。原告については当時の韓国民法が要求する要件を満たす必要があり、その要件に欠けるところがないことは、右入養申告が韓国の戸籍事務管掌者に受理され、戸籍簿に記載されていることから明かである。
配偶者のある者は、その配偶者とともに縁組をすべきことは日本民法及び韓国民法が要求するところであり、本件縁組は、これを満たしている。韓国では、養子が夫婦である場合、妻と共同で入養すべきであると定められていても、妻まで養子となるわけではなく、夫のみが養子となると解釈され、戸籍上も、妻の欄には「夫入養に従い入籍」と記載されるだけである。
4 亡高義と亡市子は、日本において昭和三七年五月一日附告示により原国籍朝鮮から帰化して日本国籍を取得したが、韓国籍を離脱していないので、重国籍者となった。
5 入養申告書の養父母欄は記名であったが、韓国では法律で署名が求められていても、文盲が多かったことなどから、記名で足りるものと解されているし、仮にそうでないとしても、適法に受け付けられれば、有効である(韓国民法八八三条)。
6 被告兼補助参加人加藤百合子(以下「被告加藤百合子」という。)は、一九四七年五月二一日、青山八重子を母として出生し、昭和三八年七月一九日亡高義から認知を受け、一六歳であった同年九月一七日、養父を亡高義、養母を亡市子とする養子縁組をした。被告加藤百合子は、原告と亡高義、亡市子との養親子関係の存在につき、身分上の利害関係を有するから、被告適格を有する。
二 被告ら及び補助参加人の主張
1 一九四八年制定の韓国国籍法一二条の四号は、自己の志望によって外国の国籍を取得した者は韓国の国籍を喪失する旨定めているから、亡高義は帰化により韓国の国籍を喪失した。したがって、亡高義、亡市子が原告を養子とするには、日本戸籍法四一条により養子縁組の届出を日本の市町村役場ないしは韓国の日本領事に届出なければならないのに、右届出がされていないから、本件養子縁組は、無効である。
2 仮に、養子縁組の方法が韓国の戸籍事務管掌者への申告で足りるとしても、亡高義は、原告の父都秉律に養子縁組をしたいと話したことはないし、入養申告書の養父欄は記名であり、原告を養子とする縁組意思はない。
3 亡市子は、原告が亡高義の養子として相続権を主張して初めて亡高義の養子として届出されていたことを知ったもので、原告を養子とする縁組意思はない。そのことは、もしも亡高義及び亡市子に原告を養子とする縁組意思があったならば、日本の市町村役場に養子縁組の届出をしたと思われるのにこれがされていないことからも明らかである。
4 仮にそうでないとしても、昭和六二年五月一五日当時の韓国民法八七八条一項、二項、韓国戸籍法二九条は、入養申告書には署名押印を要すと定められていたところ、亡高義と亡市子は、入養申告書に署名していないから入養申告書は無効である。
5 したがって、原告と亡高義、亡市子との養親子関係は、存在しない。
三 争点
したがって、争点は、1亡高義及び亡市子に原告を養子とする縁組意思があったか、2韓国で養子縁組の届出がされたが、日本の市町村役場ないしは韓国の日本領事に届出されていない場合、養子縁組の効力が発生するか、3入養申告書に養父母の署名がないのに、受理された場合、養子縁組は有効といえるかである。
第三 当裁判所の判断
一 甲第一号証の一、二、第二号証の一、二、第三号証の一、二、第四ないし第六号証、第七号証の一、二、第八ないし第一〇号証、第一一号証の一、二、第一二号証、第一三号証の一ないし四、第一四号証の一ないし四、第一五号証、第一八、第一九号証、第二〇号証の一ないし四、第二一ないし第二四号証、第二六ないし第二八号証、第二九号証の一ないし三、第三〇ないし第三三号証、乙第一ないし第五号証、第六号証の一ないし一一、証人都秉律の証言、原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
1 原告、原告の父都秉律、亡高義、亡市子らの韓国、日本における戸籍関係は、別紙戸籍の記載に基づく相続関係図のとおりである。
(一) 亡高義は、都壽益を父、宋和玉を母として、朝鮮又は韓国において、一九一九年四月六日都秉圜として出生し、一九三九年五月三〇日洪外連と婚姻した。都秉律は、都壽益を父、宋和玉を母として、朝鮮又は韓国において、一九二三年二月二〇日出生し、一九六二年四月三〇日白愛珍と婚姻し、一九六三年一〇月九日同女との間で原告をもうけた。
(二) 亡市子は、一九二六年一二月二六日陳大学を父、金千鐘を母として、桑名市において陳順伊として出生し、亡高義と亡市子は、日本において昭和三七年五月一日附告示により原国籍朝鮮から帰化して日本国籍を取得したが、この際両名は夫婦であるとして同月八日帰化の届出をして戸籍の編成を受けた。
(三) 亡高義と洪外連は、一九七四年一二月九日韓国において協議離婚届出をし、一九七五年三月一三日、亡高義は、亡市子と婚姻の申告をした。
(四) 原告は、韓国において、一九八七年五月一四日崔恩徳と婚姻し、同月一五日、亡高義、亡市子と養子縁組の届出である入養申告をした。日本戸籍法四一条一項は、外国にある日本人が、その国の方式に従って養子縁組をし、これに関する証書を作成したときは、三か月以内にその国に駐在する大使、公使又は領事にその証書の謄本を提出しなければならないが、それは、提出されていない。亡高義は、平成四年八月二〇日死亡し、亡市子は、平成六年八月五日死亡した。
2 韓国には、伝統的慣習として、戸主に男子がないときはそのすぐ下の弟の長男を養子にするのが一般的である。親族が集まって親族について記載する族譜(甲第一〇号証)には、亡高義を意味する泰園の下に原告を養子としたことを意味する「系子東鶴」という記載があり、都秉律を意味する泰律の下に原告が養子となって都秉律の戸籍から抜け出たことを意味する「子東鶴出系」という記載がある。原告は、何回かお見合いをした後、崔恩徳と一九八七年二月結婚式を挙げたが、原告のお見合いには亡高義か亡市子のいずれかが渡韓して、親として立ち合っていた。本件養子縁組の入養申告書(甲第二七号証)は、亡高義が昭和六二年二月の原告の結婚式に参列するため渡韓したとき作成してもらい、亡市子の捺印をもらうため日本に持ちかえり、同年五月渡韓した際、申告手続きをした。原告と崔恩徳の結婚式の際、新郎新婦を中心として撮影された写真(甲第一二号証)には、原告の左側には、宋和玉、亡高義、原告の実母の白愛珍、実父の都秉律の順に並んでいて、亡高義が原告の実父母より原告に近い位置にいて、より密接な関係にあることを窺わせている。
3 原告は、亡市子と被告加藤百合子を相手方として平成五年八月一〇日津家庭裁判所四日市支部に対し、遺産分割審判の申立て(平成五年家第六三一号)をし、調停(平成五年家(イ)第二四六号)に付されたが、調停の場で亡市子と被告加藤百合子は、原告を亡高義の養子と心情的に認めて本件遺産分割を円満に解決することに異存はないが、法的に養子としての相続分を主張するというのであれば、原告が養子であるということを否認すると主張した。そして、亡市子は、平成五年四月二〇日立本京介と立本久史と養子縁組をした。右調停は、八回期日を重ねたが、平成六年八月一八日不成立となった。
4 被告加藤百合子は、一九四七年五月二一日、青山八重子を母として出生し、昭和三八年七月一九日亡高義から認知を受け、一六歳であった同年九月一七日、養父を亡高義、養母を亡市子とする養子縁組をした。
二 右認定事実によれば、原告は、韓国籍であり、亡高義、亡市子は、帰化により日本国籍を取得したので、一九四八年制定の韓国国籍法一二条の四号の自己の志望によって外国の国籍を取得した場合に該当し、韓国の国籍を喪失したものであるから、本件は、日本人の養父母と韓国人の養子との間の養子縁組の有効性が問題となっている事案である。また、昭和六二年五月一五日当時は、平成元年法律改正前の法例(以下、単に「法例」という。)が施行されていたところ、法例一九条一項は、養子縁組の要件は各当事者に付きその本国法によって定めると規定しており、昭和六二年法律改正前の日本民法七九五条は夫婦共同縁組を定め、韓国民法八七四条も妻がある者は共同でしなければ養子をすることができず、また養子となることができないと定めているから、その当時の規定によって本件養子縁組の効力を判断すべきである。
1 亡高義、亡市子の縁組意思
被告ら及び補助参加人は、亡高義、亡市子に縁組意思がなかったと主張するが、韓国の戸籍に亡高義、亡市子と養子縁組された旨記載されており、韓国には、伝統的慣習として、戸主に男子がないときはそのすぐ下の弟の長男を養子にするのが一般的であり、族譜(甲第一〇号証)に亡高義を意味する泰園の下に原告を養子としたことを意味する「系子東鶴」という記載があり、都秉律を意味する泰律の下に原告が養子となって都秉律の戸籍から抜け出たことを意味する「子東鶴出系」という記載があること、原告は、何回かお見合いをした後、崔恩徳と一九八七年二月結婚式を挙げたが、原告のお見合いには亡高義か亡市子のいずれかが渡韓して、親として立ち合っていたこと、本件養子縁組の入養申告書(甲第二七号証)は、亡高義が昭和六二年二月の原告の結婚式に参列するため渡韓したとき作成してもらい、亡市子の捺印をもらうため日本に持ちかえり、同年五月渡韓した際、申告手続をしたこと等の事実によれば、縁組意思があったものと認められる。
被告ら及び補助参加人は、亡高義及び亡市子に原告を養子とする縁組意思があったならば、日本の市町村役場に養子縁組の届出をしたと思われるのにこれがされていない等として縁組意思がなかった等と主張するが、外国において届け出された養子縁組であっても、有効に戸籍に登載されている場合は、それに沿う縁組意思があったものと推定されるので、縁組意思の不存在を主張する当事者は、これを覆すだけの立証をする必要があるものと思われるところ、それはなく、被告ら及び補助参加人の右縁組意思がないとの主張は採用できない。
2 本件養子縁組は、韓国の戸籍届出受理機関が受理したので、有効に成立し、日本戸籍法四一条一項によりその届出事件に関する証書の謄本を駐在大使、公使又は領事等に提出することは、養子縁組の有効要件ではなく、単なる報告的行為に過ぎない。したがって、右提出はされていないが、それは、報告的届出であるから、養子縁組は有効に成立したものというべきである。
3 韓国民法八七八条一項、二項、韓国戸籍法二九条は、入養申告書には署名押印を要すと定められていたところ、本件養子縁組の入養申告書には亡高義、亡市子等の記名があるだけで、署名がないのに、受理されたが、適法に受け付けられたので有効と解すべきである(韓国民法八八三条)。
三 養親子関係存否確認の訴えを縁組当事者の一方が提起する場合には、他方が相手方となるが(人訴法二六条、二条一項)、縁組当事者の一方が訴えを提起する場合に相手方とすべき他方が死亡しているときは検察官の被告適格が認められる。本件は、養子が養親死亡後に、養親子関係確認の訴えを提起した場合であるから、検察官の被告適格が認められ、検察官を被告として勝訴すれば、右判決は第三者に対しても効力を有し、何人に対しても対抗できる。そして、その余の者には被告適格はないから、原告は、被告加藤百合子に対し、右訴を提起することはできない。
四 そうすると、原告の被告加藤百合子に対する訴は、訴の利益がないから却下し、検察官に対する請求は、理由があるから、認容し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九四条後段、人事訴訟手続法二六条、一七条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官大工強)
別紙相続関係図<省略>